コロナの株式投資+αDiary

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「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 -書店にめちゃくちゃ並んでた-

 

 

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死とか、魂の話で浮上してくるのは形而上学という分野から始まることが多い、アリストテレスが全14巻からなる「形而上学」を「第一の哲学」として著作を残している。

 

形而上学(けいじじょうがく、μεταφυσικάMetaphysicaMetaphysicsmétaphysiqueMetaphysik)は、感覚ないし経験を超え出でた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である[1][2][3]世界の根本的な成り立ちの理由(世界の根本原因)や、物や人間の存在の理由や意味など、見たり確かめたりできないものについて考える[4]。対立する用語は唯物論である[1]。他に、実証主義不可知論の立場から見て、客観的実在やその認識可能性を認める立場[1]や、ヘーゲルマルクス主義の立場から見て弁証法を用いない形式的な思考方法のこと[1]。  -weblioより引用-

 

 

普段何気なく私たちは精神と肉体を分離して話せるし、魂という概念も使えてるけど、そもそもそう扱っていいの?っていう議論は昔からあって、「ほら、これが魂だよ!」ってみせることは出来てないわけで、プラトンは霊肉二元論、デカルト物心二元論を唱えてこれらに様々な意見を与えてくれている。。根幹はユダヤ教キリスト教からもたらされている概念で、その概念のもと私たちは使えているだけであって、未来はこの概念は変わるかどうか分からないけど。。

 

 

 

死について20世紀話題になったのはドイツの哲学者ハイデガー(1889~1976)で、「存在と時間」において「死とは何か」をテーマに取り上げている。そもそも「生きるとは何なのか」こんな途方もないことを考えるから驚く。

 

 

死を恐れる人が大半であると思う。死とはすべての終わり、死後の世界があるかもしれないけど、現代科学では証明がないため一般には意識も何もない「無」の状態になる。そして誰一人この死は平等に訪れるわけで逃れられない。ではこの死の不安を払拭するには①宗教で不安を取り除く②死を理屈で分かろうとする。の二パターンがある。私は②の方がしっくりくる。

 

 

そして不思議と死が近いと人は受け入れる研究もある。エリザベス・キューブラー=ロスという精神科医は、「否認→怒り→取引→抑うつ→受容」という形で死を受け入れるプロセスをモデル化している。余命宣告の例が有名。

 

 

ハイデガーの場合は人生は自己実現の場(それは生きているうちにしかできない)として、希望の実感を感じる場としている。死を意識することではじめて、人は有意義に生きていけるという論を展開している。例でいうと身内の死や恩人の死など。私はこれは実体験をもって共感します。

 

 

簡単にいうと①非本来的な生き方(世間に埋もれた誰でもいい生き方)②本来的な生き方(ほかでもない自分による真剣な生き方)が私たちにあって、この本来的な生き方をしたほうがいい。非本来的な生き方は誰でも代わりがきくから、生の実感が得難い。

 

 

かなり意訳になりますが、どうせ死ぬくらいなら、生が輝くように懸命に生きようじゃないかというスタンスですね。だから「存在と時間」で①通俗的時間(今を生きるだけ→自分を失い他人に埋没した人生)②根源的時間(死=人間の有限性→人生のかけがえのなさに気づき積極的に生きるようになる。)の2つをあげ、根源的時間を意識させて生きようと思うことができる。

 

 

 

この本も目的地は生の実感に結びつく、死=悪いことなのかという死生観を論じて講義形式の文体になっているけど、講義全体の後半部分の話がメインになっていて、前半の形而上学の話があまりないんですよね、どこかにないかな。。。物足りなさが出る。。。