コロナの株式投資+αDiary

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「弱者」という言葉。貧困は怠慢か?

 

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格差社会や情報社会において度々耳にする「弱者」という言葉。思い出話も交えてつらつら書きます。

 

弱者という言葉は日常生活で度々聞きます。学生の頃には「弱者とは何か」について学ぶ講義もありました。認識論だと個人が思う「弱者」があるため、一筋縄ではいかないです。ひとまず貧困=弱者とも言い切れないし、低知能=弱者とも言い切れない。簡単に割り切れない言葉だなぁと思います。

 

私の思う問題点は弱者→誰かが悪いという論点です。

おそらく人のせいというよりは、自分が弱者の精神に同情したときに、嫉妬や復讐へ駆り立ててしまう心が肝心になると思います。正直生きてると滅茶苦茶辛いこともあります。そこに挫け、ドツボにはまり、誰かのせいにする、そんな精神状態が弱者となりえるような。辛いことを乗り越え、自分なりの価値観を持てたらいいかなぁと。金持ちでも弱者になりえるし、貧乏人でも強者になりえます。

 

また、世間的な強者は権力がある、富がある、時間がある、といった表面的に見える部分だけど、実は精神的にも強者、弱者の観念がある気がする。一方で世間的に富や権力で強者と弱者を分けると、弱者が強者を支配している部分もある。

 

ちなみに、嫉妬や復讐で人々の同情心を煽るのはニーチェのいう「ルサンチマン」の力ですね。人々の大多数は知ではなく仕事のことを考えてるとされ、仕事に忙殺されていた。そして暇と富を持ち合わせている人への羨望、嫉妬、復讐心から攻撃活動が始まり、人間の質の低下が始まると。ちなみに暇と富と一般的に持ち合わせる、ルサンチマンの攻撃の対象になりやすいのは金持ちですね。ただ、金持ちが強者とも言えないです。暇と富があるかと言えば、時間に忙殺される人もいるので。

 

この、知を得るというのは簡単にはいかない部分もあります。下の記事は環境がもたらす精神的影響がうかがえます。

 

bunshun.jp

 

 

「弱者」について学ぶときに真っ先に出てくる人物は19世紀のドイツの哲学者ニーチェですね。『ツァラトゥストラはかく語りき』という著作が有名だと思います。ツァラトゥストラゾロアスター教の開祖の名前であるザラスシュトラゾロアスター)をドイツ語読みしたものです。

 

ニーチェのいた時代はさまざまな価値観が現れ始めた時代とされています。キリスト教における神の存在とは何か、これも問い続けられてきた。

旧約、新約聖書を読むと分かりますが、聖書は精神的に弱い人を慰める宗教ととらえることもできます。弱くていい、弱くても善いのだ。弱いほうが正しいのだ。神は悔い改める者をお救いになる。だから主となる神に全てを委ねなさい。比喩や福音書など、ありとあらゆる記述に弱者を肯定する文面が見受けられます。

 

ニーチェからするとこれは隷属であり、奴隷のようなものだということですね。もちろん聖書から学べる点もあります。しかし、自分の人生を自分の力で強く生きられるはずなのに、神様のみに頼っていてはキリスト教がますます偉大なものになり、ひれ伏すしかないと。これでは奴隷道徳だと。

 

聖書の教えは、いわゆる世の中の弱者を多数派にできてしまうので、取り囲むという戦略においては大成功するパターンです。

 

そもそも「俺は弱者だぞ!」と主張するのは恥ずかしくてもおかしくないのに、人々の中には当然の権利のように主張する人もいる。ただ、上の記事のように「見えざる弱者」もいる。

 

「神は死んだ」という言葉がありますが、あれは個人的には「固定的な真理や価値観は存在しないのだ、自分達で作り上げるのだ」という意図があると学生時代に思っておりました。

おそらくニーチェ的には「キリスト教に頼るのはもうやめようよ」という主張だったと思うのですが。

 

お世話になった教授の話ではどうやらニーチェブームというのがあったらしいです。生徒たちでニーチェの考えに共感する人が多い時期があったと。

 

ニヒリズム(虚無主義)の「世界に意味なんてない」といった考え方はしっくりくる人が多いとか。人間はすぐ新しい価値を求めてしまう。ただ、キリスト教みたいな事態になって、反省し次こそは!とまた新しい価値を求めて考えはじめ、失敗しまた別の価値観が作られる。これだと何も変わらない。これが「永遠回帰」の考え方なんだ。世の中では永遠に同じことが繰り返されてるんだ。大切なことは、世の中に価値なんてない、人生に意味なんてないっていうことを潔く認めることなんだと。

 

当時の私は「え?それじゃどう生きていけばいいのさ」と思いました。人生を諦めろってことか?と。

ニーチェの著作のひとつに、『悲劇の誕生』があります。感想をざっくりいうと、表面的には明るくて楽天的だと思われていた古代ギリシャ人も、本質的には人生の苦しさ、暗黒面と激しく戦い、制服している。苦しみを受け入れているからこそ強く明るく生きていけるといったものが感じられます。

 

人生は何でもかんでも合理的で理性的に割り切れることばかりでもないと。不合理も含めて受け入れるほかない。生の全面的な肯定がいるんだと。永劫回帰を理解した上で、「もう一度やったる!」と生きる。ニーチェの唱えた「超人」はいわゆるそんな人だと。

 

この「超人」の生き方はかなり難しいとされてます。

力への意志」という言葉があり、これは「強く生きようとする意志」だと。人々の行為、主義主張は時間をかけて何処かで落ち着く。また、日々の生活でもいろんなことが事が起こるが、最期はそれなりに落ち着く。落ち着かなかったら、社会は混乱だらけで、まともな人間生活を送れなくなる。人はこうした意志がなければ成長しない。だから「強く生きようとする意志」が大事だと。

ここで思い通りにならないとき人のせいにばかりすると、やっていることはキリスト教の奴隷道徳に頼ってきただめな人の仲間になってしまうと。

 

「弱者」「強者」「超人」で分けたとき、超人であるのが理想であり、貧困だから怠慢だとも、弱者だとも、超人になれないわけでもない。ただ、分かったうえでも難しい類にはいる。勇気はわきます。